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起きてから、飯ができるまでの間、数本の木の枝を片づける。直径5センチほどのもので、太いところをチェーンソーで切ってから、細めの枝をナタで切る。細かい枝や葉は先日ナタでおろして、軽トラックに積んでおいたら、妻が畑のクルミの木の下に放置しに行った。
クルミの木の下には、細かい枝、大型の草など手に入る有機物をどんどん積み上げてある。堆肥を作るように切り返すことなどする気はない。今後は、河原にある葦の枯れたもの、大水で流されてきた葦の細かい枝なども集めてきてどんどん積み上げていく予定である。業者が国土交通省から委託されて刈った土手草は、最近は集めて河原で燃やすこともやらず、刈ったまま放置してあるところが多い。刈って放置された草の下は、土が軟らかくなるから、土手を弱くするはずである。去年、戸倉の白鳥園の近くの土手が大水に掘られて消防の人たちが大勢出ていたが、もしかしたら土手草を刈ったまま放置した場所ではないかと思ったことがある。昔は牛や山羊を土手で遊ばせていたので、草はいつも短くて土手も強靱だったろうが、刈った草を放置する今のやり方では、土手は絶対に弱くなるだろう。住民の財産がかかっていることなのだが、考えの浅い土建屋が草刈りの仕事を受けているのでどうしようもない。
土手草も、チッッパーで切るもの以外にもどんどん集めてくるべきである。雑草の種が混じることなど気にすることはない。草生栽培をやるのに雑草の種など怖がる必要はまるでない。
こうして手に入る有機物(木や草)をクルミの木の下にどんどん積み上げていけば、何年かすれば、下部は黒い土になる。この土を種まきの用土に使う予定である。要するに単に放置しておいて、種まき用土を手に入れようというだけのずぼらな計画である。いい黒い土が手に入るまで生きていられるかどうかは知ったことではない。
飯の後、長ナスの種蒔き。15鉢程度。放置されていた3寸角を強化ガラスの寸法に切り、長方形にしたものをハウスの中に置き、その上に強化ガラスをかぶせた。三寸角も釘止めなどなく、ただ横倒しに置いただけ。その中に、長なすの種蒔きしたポットを、すでに蒔いてあるものの横に追加して並べた。ハウスの中であるし、今年は外気温も高いので、三寸角の上部に2センチ厚程度の木をはさんで、ガラスが三寸角に密着しないようにして通気をはかってある。
1時半からさらしなの里歴史博物館で、西江雅之さんの食や文化をめぐる講演会。妻、娘、孫と行ったが、孫は講演開始5分で飽き、娘が講演を聴くのをあきらめて、外で一緒に遊んだ。内容は面白いが、口調がやわらかく、しかも早口ぎみなので眠くなる。実際に妻は講演の3分の2の時間を寝ていた。食の安全ということでは、日本人はもう(毒を食う)覚悟をするしかないという言葉が印象的だった。文化人類学者が食を語れば、現代の日本はそうとしかいいようがないということなのだろう。日本の大手企業が販売している中国のウーロン茶はひどい農薬漬けであるとの話もあった。西江さんはサントリーなどの名前は出さなかったが、私はすぐにサントリーだろうと思った。
4時過ぎ、畑へ。クルミの木の枝を切ったものを片付ける。薪になるものはストーブ用の大きさに切り、細いものはナタで細かめにして、クルミの木の下の有機物の山裾に放り投げる。その後、畑の中を歩き回り、強情なシバ草の地上部と根を切り離す。その間、今年一年で、畑のどの部分をどうするかを考える。
それにしても、日本の百姓は、固定観念に縛られてしまっているとしか思えないことが一つある。つまり、畑に草があってはならないという固定観念である。私も長いことそこから抜けられなかった。
もう20数年前のことだが、世界救世教の信者の人が農場を見に行かないかと誘ってくれたことがあった。信者になるつもりはなかったし、今も信者ではないが、この農場を見たことは一つの転機になった。宗教がらみであろうとなかろうと、農法そのものを見るのには何の偏見も持たなかった。なるほどと思ったのは、河原の葦を土の上に敷き詰めて、土が裸にならないようになっていたことだった。それを草によって草を制する方法だと私はとらえた。刈った草を5センチ程度に敷き詰めてしまえば草は生えなくなる。生えても土を裸にしておくよりはるかにずっと少なくなる。この方法で、野菜などの作物を作らず、草を畑に敷くということだけを結構長いこと続けてきた。人から見れば、ただ無駄なことをやっていると見えただろうが、自宅自作をやっていたので、草が草を制するということだけでも充分に価値があった。
自宅自作も急がなくてもいい程度になって、少し余計に畑に手を入れられるようになった頃、川口由一さんの本を読んで、目から鱗が落ちるような気がした。世界救世教のやり方を真似した段階では、草は邪魔者だった。草がなるべく生えないようにした上で、生えたら抜き取るということをやってきたが、これは草を邪魔者扱いしてきたからである。川口さんは草を邪魔者扱いしない。
今後も大型の草や草のチップを敷き詰めるということは続けるつもりだが、川口さんの本を読んでから、草を抜き取るなどということはしなくていいのだと確信するようになった。作物より草の背丈が高くなれば、作物に陽が当たらなくなったり、風通しが悪くなったりするから、草は半分程度に(あるいは根元から)鎌で刈ってその場に置いておく。
大した違いはないと思われるかもしれないが、草は抜かなくていいという考えは、非常に気持ちを楽にしてくれる。後で刈ればいい。もう少し繁ってから刈ればいいなどと思うようになった。それが川口さんの方法から私が受けた最大の恩である。大した違いはないどころではない。気持ちに余裕ができる。気持ちの持ち方がまるで違う。
春先、強情なシバ類などは地上部と根の境を切り(根が1センチくらいついてくるように土の中のごく浅いところを切り)、枯らすということをするものもあるが、大きな株にならないような草は放置しておき、あまり繁るようならたまに地上部を鎌で刈り払えばいい。最初に大型の草(葦、萱等)で覆ってあるから、その程度で充分に草は制御できる。
世界救世教のやり方と川口由一さんの方法を組み合わせるだけで、日本中の荒れ果てた畑や田はすべて優良農地になる。長年放置されて木など生えてしまった畑や田はすべて蘇らせることができる。世界救世教や川口さんに先駆けた人として、福岡正信さんが位置づけられるが、この三者が、今後の日本の小型農が生きられる道をつけた。まだ人々はそれに気づいていない。炎天下で老婆が草を一本ずつ抜いている姿などを見ると、気の毒でたまらない気持ちになるが、車を降りてそんなことはする必要がないんだと言えば、えらい剣幕で怒られるに決まっている。車の窓から見るだけで通り過ぎることが多い。切なくてたまらなくなるときがある。
荒れ果てた(と見える)畑は、まず木や大型の草を切り倒す。木はナタで枝を払い、太い枝から細い枝まで土に接して横たわっている状態にすれば、幹以外は畑から持ち出す必要はない。場所に余裕があり、他に用途がないようなら、太い幹も邪魔にならないところに横倒しにしておけばもっとよい。いずれは畑の土になる。その後、河原などから大型の草を刈ってきて、畑全面に敷き詰める。通路を決める際に、畝幅も決まる。水はけのよくない田畑なら、通路の土を掘り畝にあげるという作業が生じるが、私がやってきた畑は河原に近く、砂地であるから水はけはよく、土を掘りあげることもやっていない。大型の草を敷き詰めたら、その上からモミガラを撒けばもっといい。一部試してみたところがあるが、大型の草の茎の間にモミガラが入るから、余計に草が生えにくくなる。これは、しばらく作物など作らず、土をよくするだけのために土を有機物で覆っておくところにやるのに最適な方法である。
作物を作るところを、大型の草で覆ってしまえば種まきなどやりにくくて仕方がないので、ものを植える予定があるところだけはチッパーで切った草を撒く。特に土が露出しているところに、草のチップで服を着せてやるようなつもりで撒く。藁のチップならこなれるのが早いから、その上に芝草や葦や萱のチップを撒けばもっといいだろうが、そこまでていねいにやっている余裕はない。今は草のチップを使っているだけだ。
手が回れば今後、荒れた畑を直す面積を増やそうとは思っているが、しばらくは大型の草を畑に5センチ程度に敷いて草を制御し、それでも生えてきた草は鎌で刈ってその場に(刈った草の株の上に)かぶせておくだけでいい。
新しく始める場合は、5年10年放置されて草ぼうぼうになった畑が借りたい畑である。農薬や化学肥料が抜けていい土になっているはずだ。今後少しずつ、畑を増やしていくつもりがあるが、とにかくゆっくりやろうと思っているので、どれだ増やせるものかわからない。英語と両立が考えるべき点である。
しかしやはり、野菜を作るより、壌土を作ることが好きなのである。何も植えてなくても、壌土ができてくるとうれしい。
この方法で土を裸にしないで、絶えず草で覆っておくようにすれば、日本中の荒れた畑や田の保全に絶対に役立つはずである。同じことを始めてくれる人が増えてくれないものかと思う。
なにはともあれ、草を抜いたり、除草剤を使ったりして、畑を砂漠状態にしてしまうより、畑を草ぼうぼうにしておく方が日本の農土を守っているのだとは、ほとんどの人が気づいていない。
今年も畑を眺めて、今後どうするかを考える。
長く草を置いてきたところは、強情なシバ類の地上部と根を切り離すことをする程度で、春先に手に入る河原の枯れ草をチップにして敷く。チップにしておけば、種蒔きのときもチップをどかすだけで種が蒔ける。まだ面積はわずかだが、ようやく毎年野菜を作る分ができたと考えていいだろう。
新しく借りた畑は、まず大型の草を敷き、もみがらを撒いて目つぶしをし、その上からヌカを振りまいておけば、草やもみがらがこなれて土になるのが早まるのではないかと思う。ヌカを撒いたところは、チップにした草で覆っておけばさらにいいだろう。去年の秋に借りたところは、長年放置されていたせいで、枯れ草でぼうぼうとしているが、土は柔らかい。ぼうぼうとしているものを横倒しにし、もう一年保全するかトウモロコシ程度のものを植えておけば、充分畑になるはずだ。
おやじが花を作ってきたところは、去年一年で草ぼうぼうになった。ここは耕耘などしてきたせいでまだ土が硬い。今年からそこを耕作するのをやめるとおやじが言うので、自分でやることになったが、今は冬の間に枯れた細い草が一面に畑に倒れ、全面を覆っている。畑に草を生やさないで砂漠状態にするのがいいことだと思っている人が見たら絶望的になるだろうが、川口さんの考えを知ってからあせる気はまるで生じない。ここへは植えるところの周囲だけ草を払って、さつまいもを植えればいいと思っている。おそらくサツマイモの葉が畑全面を覆い、草に勝つだろうと思う。なにごともやってみなければわからないが、ひとまずはそんなもくろみでいる。
夕飯後、カボチャのタネ5つ、東京5角というオクラのタネ5つポットに蒔く。
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