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改稿1

 投稿者:根石吉久  投稿日:2009年 4月27日(月)03時32分53秒
編集済
  .ゆぎ4号草稿1700字(50字34行+α)

ゆぎ3号ぎゅう
・・・・酒飲みのヒヒョウ・・・09/04/27

 一緒に里山を歩いた日、浜田さんに、「ゆぎ」どうでした、と言われ、一瞬胸の上部が冷たくなったような感覚があった。「車の中に置きっぱなしで、まだ読んでないんです」と言ったら、今度は背中がひきつるような気がした。もうしわけねえと思って黙って歩いた。温泉に入ってから家に帰り、「ゆぎ3号」を開いてみたら、半分以上読んであった。だけど、読んだ分が「2号」のものだと思った。はるか昔というほどではないが、昔(数ヶ月から一年前に)読んだことがある。表紙を見てから、奥付を見て、最近発行された3号だと確認した。なんだか変な感じだ。いったいいつ読んだのかまったく覚えていない。車の中だったのか?
 その夜、やはり酒を飲んで、ぐらぐらと寝床に寝ころんだ後、浜田さんにメールを書いた。

「ゆぎ」読んでみたら、量的には半分以上はすでに読んでありました。
浜名純、「新聞社の‥」。量的に倍から三倍は欲しい。食い足りない。
浜田順二「ことば」がいい。「とおくでやまが…」の一行は冒頭にあったらどうか。
その場合、「えだゆれるみどりの…」の最後を「しばふにおりた。」にする。
元の詩の「とおくでやまが…」以下をばっさり削除、あるいは「あしたはてんきに…」だけ最終行に残す、などと、私はもう詩を書こうとはしない者なので、人様のものを借りて別物にするという失礼なことをしていました。
「息子の悩み」は詩の形式を使った小話として秀逸。
岡澤恭子、「少年の手は…」記憶に残ります。
他は忘れてしまうだろうというより、記憶にならずに流れてしまうと思いました。

 以上は、携帯に残っている送信メールを、自分のパソコンに送り、このテキストファイルに貼り付けたもの。
 今日、浜田さんが素読舎に英語をやりに来たので、またしても勝手なことをしゃべらせてもらった。森貘郎は詩はよくねえな、柔らかいこころをひた隠しに隠して言葉をひっくり返して鎧にしてる。こころの柔らかいところを出せなくて何が詩か。森貘郎は、俳句の方がいいな。言い切りがよく、小気味いいのがよく穫れる。浜名さんのは、惜しいんだ。もっと量を書いてくれれば、もっとわかるはずだ。浜田順二と岡沢恭子は、顔を知っているが、そのせいで作品が優れていると思ったわけじゃないと思う。「あしたはてんきに…」は最終行にあった方がウケはいいだろうが、ないほうが詩だな、など言った。
 今日言わなかったことを、今付け加えたいが、岡沢恭子の短歌はもうひとついいのがある。「生きること楽しいらしく少年は泳ぐかたちにTシャツを脱ぐ」。
 で、これで字数は終わりなんだろうか。ゲストで書かないかと浜田さんに言われ、書けるかなあ、と言ったくせに、さっさとその日に書いてしまっている。さすが酒のみだ。で、ゲストとして書かせてもらっているんだが、詩のニセモノを根石吉久名で書いてみたい。ボツにされたらしょうがねえけど、最初に、こっちの原稿を、その後に連続で、ニセモノ二編を載せて欲しい。広告出すから。

1.
敬礼

                     根石吉久

ゆぎさんごうよんぺいじ、小熊忠二さんのは、タイトルと署名が何かの液体で濡れて字が汚れた手書きを、そのまま版にしたものだが、液体がセーエキならいいな。元気に手掻きしたもんならいいな。気やすく、「死」に話しかけなさんな。作家の遠藤周作氏は、雨の日に傘をさして、庭の鉢植えにジョーロで水をやっていた。知らん振る舞いは、焦点ぼけだが、道に出た「あまい 柿にすぎぬ」は、紙に出る感覚とあいまって、イメージ鮮やか。あれ、ヒヒョウの癖が抜けねえ屋! スカートもまくってしまうわ! エッチ! やだあ、根石くん。中学の頃そのようなことをよく言われた。よくよく言われたことはない。やだああ、とか、やだぁん、とかよく言われた。コジマどうしてるんかな。小熊さんにしても股?「あまい 柿にすぎぬ」のだから、だったら女を思えよ、女を。「死」だなんて言ってる場合じゃねえ。気安く、「死」に話しかけなさんな。セーエキ、セーエキ。出なくたって、もっと思えよ。(これのどこが敬礼じゃ?)


2.
ことば
                     根石吉久


とおくでやまがだまってみている。

もう だまって いたい。

まよなかにことばなんかでおこしてしまって。
あけがたにじてんしゃなんかこぎだして。
うすぐらいこうえんのべんちなんかにこしかけて。

わるいことをしたとおもう。

ろくじゅうねんをいきてきて。
なんどもおもったはずなのに。
またしても おもう。

もうだまっていたい。

こだちのかげがながくのびて。
あきかぜがふきぬけて。
えだゆれるみどりのしげみから小鳥がふるようにしばふにおりた。

・・・註。
   最後、「小鳥」だけ、漢字にしたかった。語学屋のせいか。
   昔、小鳥のような小島が好きだったせいか。
   その他、浜田順二の「ことば」の細部にいくつか変更を加えた。
 

メモ

 投稿者:根石吉久  投稿日:2009年 4月27日(月)02時41分8秒
  .ゆぎ4号草稿1700字(50字34行+α)

ゆぎ3号ぎゅう
・・・・酒飲みのヒヒョウ・09/04/27

 一緒に里山を歩いた日、浜田さんに、「ゆぎ」どうでした、と言われ、一瞬胸の上部が冷たくなったような感覚があった。「車の中に置きっぱなしで、まだ読んでないんです」と言ったら、今度は背中がひきつるような気がした。もうしわけねえと思って黙って歩いた。温泉に入ってから家に帰り、「ゆぎ3号」を開いてみたら、半分以上読んであった。だけど、読んだ分が「2号」のものだと思った。はるか昔というほどではないが、昔(数ヶ月から一年前に)読んだことがある。表紙を見てから、奥付を見て、最近発行された3号だと確認した。なんだか変な感じだ。いったいいつ読んだのかまったく覚えていない。車の中だったのか?
 その夜、やはり酒を飲んで、ぐらぐらと寝床に寝ころんだ後、浜田さんにメールを書いた。

「ゆぎ」読んでみたら、量的には半分以上はすでに読んでありました。
浜名純、「新聞社の‥」。量的に倍から三倍は欲しい。食い足りない。
浜田順二「ことば」がいい。「とおくでやまが…」の一行は冒頭にあったらどうか。
その場合、「えだゆれるみどりの…」の最後を「しばふにおりた。」にする。
元の詩の「とおくでやまが…」以下をばっさり削除、あるいは「あしたはてんきに…」だけ最終行に残す、などと、私はもう詩を書こうとはしない者なので、人様のものを借りて別物にするという失礼なことをしていました。
「息子の悩み」は詩の形式を使った小話として秀逸。
岡澤恭子、「少年の手は…」記憶に残ります。
他は忘れてしまうだろうというより、記憶にならずに流れてしまうと思いました。

 以上は、携帯に残っている送信メールを、自分のパソコンに送り、このテキストファイルに貼り付けたもの。
 今日、浜田さんが素読舎に英語をやりに来たので、またしても勝手なことをしゃべらせてもらった。森貘郎は詩はよくねえな、柔らかいこころをひた隠しに隠して言葉をひっくり返して鎧にしてる。こころの柔らかいところを出せなくて何が詩か。森貘郎は、俳句の方がいいな。言い切りがよく、小気味いいのがよく穫れる。浜名さんのは、惜しいんだ。もっと量を書いてくれれば、もっとわかるはずだ。浜田順二と岡沢恭子は、顔を知っているが、そのせいで作品が優れていると思ったわけじゃないと思う。「あしたはてんきに…」は最終行にあった方がウケはいいだろうが、ないほうが詩だな、など言った。
 今日言わなかったことを、今付け加えたいが、岡沢恭子の短歌はもうひとついいのがある。「生きること楽しいらしく少年は泳ぐかたちにTシャツを脱ぐ」。
 で、これで字数は終わりなんだろうか。ゲストで書かないかと浜田さんに言われ、書けるかなあ、と言ったくせに、さっさとその日に書いてしまっている。さすが酒のみだ。で、ゲストとして書かせてもらっているんだが、詩のニセモノを根石吉久名で書いてみたい。ボツにされたらしょうがねえけど、最初に、こっちの原稿を、その後に連続で、ニセモノ二編を載せて欲しい。

1.
敬礼

                     根石吉久

小熊忠二さんのは、タイトルと署名が何かの液体で濡れている手書きを、そのまま版にしたものだが、液体がセーエキならいいな。元気にテガキしたもんならいいな。気やすく、「死」に話しかけなさんな。作家の遠藤周作氏は、雨の日に傘をさして、庭の鉢植えにジョーロで水をやっていた。知らん振る舞いは、焦点ぼけだが、道にナントカ出た「あまい 柿にすぎぬ」は、セーエキ出る感覚とあいまって、イメージ鮮やか。あれ、ヒヒョウの癖が抜けねえ屋! エッチ!

2.
ことば
                     根石吉久


とおくでやまがだまってみている。

もう だまって いたい。

まよなかにことばなんかでおこしてしまって。
あけがたにじてんしゃなんかこぎだして。
うすぐらいこうえんのべんちなんかにこしかけて。

わるいことをしたとおもう。

ろくじゅうねんをいきてきて。
なんどもおもったはずなのに。
またしても おもう。

もうだまっていたい。

こだちのかげがながくのびて。
あきかぜがふきぬけて。
えだゆれるみどりのしげみからことりがふるようにしばふに降りた。

・・・註。
   最後、「降りた」だけ、漢字にしたかった。語学屋のせいか。
   その他、浜田順二の「ことば」の細部にいくつか変更を加えた。
 

鋳物師屋区政への喧嘩

 投稿者:根石吉久  投稿日:2009年 3月 5日(木)00時13分11秒
  議事録をしっかりさせること・議事を区民に積極的に知らせること・規約を作るべきこと
                               09/03/04
                               12常会協議員・根石吉久

 後であれを言い忘れたということが多かったり、その場ですぐに判断ができず、後になってああいうべきだったということが多いので、今回はあらかじめ書いておいて、協議員の皆さんに読んでいただくことにしました。

・協議員会の議事録がきちんと整えられなければ、新しく協議員になった人たちが、前年までにどんな協議がなされたのかがわからない。議事録を整え、年度が変わる際に協議員に配布されるべきである。

・総会について。前回の協議員会で、区長が「総会はセレモニーだ」と発言した。総会は、議決のためのものであり、役員同士でほめあいをやるセレモニーなんかではない。総会=セレモニー説はとんでもなく転倒した考えだが、それが当たり前のように区長の口から出てくる。総会に旧来の区民の出席が多く、新しい区民の参加が少ないのは、こういう転倒した考えにも原因がある。

・協議員会で話されたことを区民に積極的に知らせる姿勢が区長にない。寄り合いのない常会では、協議員は協議員会の話の内容を常会員に知らせるための手段がない。せっかく各戸配布の「鋳物師屋新聞」があるのに、協議員会で何が話されたのかはほとんど掲載されない。

・区長がしゃべり、協議員たちが黙っていれば、区長のしゃべったことが議決として「承認された」とする議事進行法がある。異議はないかと確認するだけでなく、大事なことがらに関しては、記名にせよ無記名にせよ、投票によって議決し、票数を総会で公開すべきである。

・投票は無記名が望ましい。疑問が残ることがらに関しては、協議員は遠慮なく「承認しない」を選ぶべきであり、再度協議に入るべきである。事情がよくわからないからなんとなく黙っていたら、「承認された」にされてしまったというのが、これまでの実態である。

・協議員会とは別に、委員会(エレベーター設置委員会等)を作ることの問題点。ほっぺた回しの協議員なんかに村のことが決められるはずがないという考えか。その考えには一理あるが、新しく住みついた住人も、旧来の区民と同額の区費を納めている以上、委員会から協議員会に議事内容の報告がなされるべきである。その報告がないままだと、協議員は委員会の議事内容に関して判断するための材料が得られない。材料がないので判断を保留していると、ものごとがよくわからないままでも(私がそうだった)、委員会や区長の判断を「承認した」とされる。だんだんとはっきりわかってきたのは、協議員会は骨抜きにされているということだった。勝手に「承認した」とされてしまうのであれば、協議も何もあったもんではない。
 ほっぺた回しの協議員なんかに村のことはわからないから、協議員会を骨抜きにし、各種委員会を作って、大事なことはそっちで決めるというなら、協議員に村の祭を手伝わせるようなこともやめるがいい。協議員は協議するのが仕事であり、村の祭りの手伝いや消防訓練などするのが本来の仕事ではないはずだ。

・緊急な場合以外は、必要な説明をし、議事を提示しておいて、次回の協議員会で協議するというゆっくりした進め方でいいはずである。ものごとがよくわからないまま、「承認した」とされると気味が悪い。この気味の悪さが、この一年を通じて感じ続けたものである。

・協議員会開催の前に、区長が協議員宅を回り、招集状を配っている。せっかくそれだけの手間をかけるのなら、手書きでもいいから前回の議事の記録も配るべきだと提案したことがあった。あらかじめおおざっぱな記録を配っておいて、協議員会で議事事項の確認や遺漏の有無の確認をし、協議員たちの承認を経て、議事録として固定すべきだと提言した。「わかりました」という区長の言葉があったが、あらかじめ前回の議事が配布され、それが協議員会で確認された後に承認されたということは、その後一度もなかった。確認や承認を経ないまま議事録が固定されるなら、執行部の恣意により議事録が好きなように作られる可能性がある。とりわけ、区民に積極的に知らせる姿勢がない区長の代には、その可能性がある。

・エレベーター設置に関して、区民に疑問が生じ、協議員が事情を聞かれても、協議員自身が詳しいことは何も知らされていないという事態があった。区民にきちんと知らせるという姿勢を欠いたまま、区長はエレベーター問題は「前区長の独断と偏見が招いたことだ」とした。自分が代理区長として一緒に動かした区政から生じた問題だという認識がまるで欠けていた。前区長一人を悪者に仕立てて、ことを済ませようとした姿勢が、一年の協議員会に出席して最も不愉快なことであった。
 一切が前区長のせいであり、自分にはまるで責任がないかのような「独断と偏見」発言はきちんと議事録に残されるべきである。そうしなければ、協議員会での発言がただの陰口になり、前区長に反論の余地はまるで残されなくなってしまう。そのことで、「前区長に全責任あり」が協議員会によって承認されてしまうことになる。こんなやり方の方が、はるかに「独断と偏見」と呼ばれるべきではないか。

・前区長に問題がなかったというのではない。すべて前区長が悪く、自分は悪くないというふるまいが不快なのである。ろくな議事録も残されないから、こんなひったるんだふるまいがまかり通る。言行が議事録に残るという覚悟がないから、あんな不快な発言があったのである。まともな議事録がないことが、区政をひったるんだものにしているのである。

・鋳物師屋区の規約を作るべきである。協議員会でよく話し合い、総会で区民の承認を得た規約が存在すべきである。規約の改定も、最終的には区民総会で承認を得るべきである。総会で区民の承認を得た規約がない限り、協議員会など「協議」という骨抜きの形式を整えるためのカイライにすぎない。協議員会の位置づけ、議事の承認方法、議事録の残し方、議事録の公開性の確保などを規約できちんとさせなければ、区長の判断がそのまま議事の結果になるという悪弊は止まらない。黙っていたら、「承認した」とされる気味の悪さは止まらない。

・ごみ処理施設建設計画をめぐって、中区に生じた問題の根は、歴代区長たちが積極的に区民に説明することをしなかったことにあった。もし鋳物師屋で事が起これば、同じ問題が生じるだろう。村に規約が存在することにおいては、鋳物師屋より中区の方がはるかに優れている。この規約が存在したことにより、区民総会で中区は区民の総意を形成することができた。鋳物師屋区政はこの点において、まったくのぐずぐずである。
 

野火18用

 投稿者:根石吉久  投稿日:2009年 2月26日(木)21時25分22秒
  ・長野広域連合による焼却溶融炉の建設費340億円のうち、3分の1は国が補助金を出す。残り3分の2は住民負担である。住民負担分を単純に人口で割れば、約4万円の負担になる。一軒あたり4万円ではない。一人4万円である。例えば、3人家族なら12万円、4人家族なら、16万円の負担になる。
 この不景気の時代に、こんな馬鹿げた施設を、千曲市の人々は黙って承知するのだろうか。

・下水道代が値上げされると聞いたとき、「やっぱりな」と思った。行政が住民に負担させる金は、値上げさえすればまきあげられるということなのである。

・長野広域連合が作ろうとしている焼却溶融炉だってそうだ。作っておいて、維持管理費を値上げさえすればいいのである。ごみや下水で住民がどれほどの金をまきあげられることになるのか、それはまったく未知数である。行政は値上げはするが値下げすることはない。

・焼却炉は焚き始めに石油を使用するが、火に勢いが出ればゴミ自体で燃える。それに対して、溶融炉は灰を溶かすために、焼却炉と比べものにならないほどの石油その他のエネルギーを消費する。こんなものはすでに時代遅れの施設である。

・そして、いつも根本問題は解決しない。根本問題は、合成化学物質の製造販売の野放しにある。消費場面では、合成化学物質の垂れ流し、使い捨てであるが、製造販売を野放しにしておくかぎり根本は解決しない。下水道であろうと、焼却・溶融炉であろうと、処理過程や処理後の物質を人々が嫌うのは、合成化学物質を処理しても自然に帰らないからである。自然に返せば自然環境が汚染されるからである。合成化学物質(プラスチック、ビニールなど)の製造販売がこの観点から管理されないかぎり、根本はいつになっても解決しない。

・地方行政のごみ処理にやたらに金がかかるのは、国が合成化学物質の製造販売を野放しにしているからである。

・地方行政や地方議会が国を突き上げることが始まらなければ、根本は解決しない。しかし、千曲市議会にはそんな気配すらない。じじいどもが立派そうにあほなことを言っているだけである。痴呆議会の名に値する。広域連合は、この痴呆議会を手玉にとる悪代官だと見て間違いない。

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・建設地検討委員会は、千曲市が山と山の間が狭いという地形をついに一度も検討しなかった。火を焚く機会が多い人や、薪ストーブなど使っている人は誰だって知っているが、風のないときに、素直に煙が上に登っていくことなどほとんどない。一度登りかけたものは下がってきて、地を這う。山と山の間が狭いということは、化学物質のガスがたまって抜けにくいということである。この問題を一度も真剣に考えたことがないような建設地検討委員会の決定など、それだけで無効である。

・市が補助金という名目の金をくれてやり、飼い慣らしておいた市民団体から委員を「推薦させた」ということ。そうしておいて、「市民参加」の委員会だなどとうそぶくこと。このこと一事が、千曲市ごみ焼却炉建設地検討委員会がでたらめである証拠である。何が「市民参加」か。行政の補助金やら、市役所職員との常日頃の「仲良しごっこ」から切れた「普通の市民」が一人でも参加していたというのか。

・千曲市ごみ焼却炉建設地検討委員会は、長野広域連合のいいなりをやっている千曲市環境部が決めたことを承認するだけの、承認委員会にすぎない。そして、そんなものを承認した責任をとろうという委員は一人だっていない。建設地の候補を絞り込んだ後の説明会に、委員が一人も出席していないことは信濃毎日新聞がはっきりさせた。重大な決定を「承認」しておいて、その責任をとるために矢面に立とうとした委員は一人もいないのである。恥知らずたちのご尊名を以下に列挙する。

・大石修治、柿崎久、清水佑一、青木恵美子、鍛冶榮、北島武重、小林直文、中曽根久子、宮下文夫、宮城正。

・このでたらめな委員会は、千曲市長が召集した委員会である。この委員会が無責任なことをしたら、それを召集した市長に責任がある。宮坂前市長の役人根性が、ナアナアに引き受けてきた長野広域連合の計画など、近藤現市長は引き継ぐ必要はない。なぜ市長は宮坂前市長の失政を引き継ごうなどとしているのか。ここをまともに判断しないから、こんなでたらめな委員会が生まれてしまうのである。

・2008年春の鋳物師屋の区民総会で、中区が建設予定地になる可能性があるから、鋳物師屋区としての意見をまとめて欲しいと発言したところ、Mという女の人が、合成化学物質を燃やしてできるガスに毒性があるということについて「デマだ」と発言した。デマだというからには、この人は合成化学物質の焼却・溶融でできるガスについて、その正体を知っていなければならない。ごみには何が混ざり込んでくるか予想もつかないし、何がどの順番で焼却されるのかも予測がつかない。そこに起こる化学反応は「わからない」というのが正確なことだ。この女の人は、どんな優秀な化学者にも「わからない」ことがわかるらしい。そのくせ、「デマだ」と言ったことの責任が今後に残ることはわからないらしい。

・プラスチック類は、確かに元は石油で、成分の主体も石油だろうが、弾力性、剛性などいろいろな性質を持たせるために、しろうとには「わからない」化学物質で合成する。化学物質を合成しないで、石油がそのままいろいろな性質のプラスチックになるわけがない。添加された化学物質が焼却・溶融の過程でどんな化学変化を起こすかなど、千曲市環境部、長野広域連合の公務員レベルでわかるわけがない。それなのに、千曲市環境部などは、馬鹿の一つ覚えじゃあるまいに、いつも「安全だ、安全だ」と言ってきた。人々はもう飽き飽きしているのである。「わからない」ものが安全であるわけがない。それはどこまで行っても、「わからない」ということが正確なのである。

・本紙は、問題点を指摘することはする。建設反対の声を挙げることもする。建設されたなら、「稼働を止めろ」という声を上げるだろう。それを今後もやめる気はない。しかし、住民が自分で声をあげないなら、行政のやりたいようにものごとが進むだけだろう。「見ざる、言わざる、聞かざる」の保身を続けるような住民ばかりであれば、その上に合成化学物質のガスが降ってくるのも仕方のないことなのかもしれない。本当は住民が決めることなのだが、何も言わないような住民ばかりであれば、みんなでガスを吸っているのがお似合いなのであろう。
 

根石さん

 投稿者:村田  投稿日:2009年 2月15日(日)02時36分30秒
  この掲示板の過去ログを収録しました。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/juukannkyou_kako.html
 

根石さん

 投稿者:村田  投稿日:2008年12月28日(日)01時25分16秒
  信濃毎日の記事、読みました。
(26日の分は、あやうく天ぷら用の紙にされてしまうところぎりぎりセーフ)

「千曲市の新ごみ焼却施設建設計画 これでいいの?用地選定 上・下」
いつも現状追認、手遅れ感のある記事ばかりだったと思いますが、この記事は普通の感覚を持った住民の声が反映されていると思いました。
これは、今後のためにいい記事ですね。
検討委員会の傍聴に行った時、五加小学校のそばも候補地かい。これってアリか?と思ったんですが、ちゃんと情報を受け取れば、普通は待て!と思いますよね。
住民は、「ダメな」公務員の目線で考える必要はないですね。
住民エゴだのなんだの、上から目線こそ住民を分断するもんですね。

「ですね」ばかりですいません。
 

根石さん

 投稿者:村田  投稿日:2008年12月28日(日)01時09分43秒
  住環境に文句のある人々の為の掲示板の過去ログは、整除作業が必要で、ただいま作業中です。1月にはあげられるようにしたいと思います。  

村田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月 9日(日)22時54分32秒
  Naima さんに連絡をとってもらって、ゴミ記事を削除できるようにして下さい。  

村田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月 8日(土)01時46分1秒
  この掲示板の過去ログはないのでしょうか。
千曲市民関係で読みたいと思ったのですが。
 

千曲市民その他へ

 投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月 7日(金)05時37分1秒
編集済
   何だったんだ、あのおちょぼ口はと思い出すと気分が悪くなる。
 千曲市民という名で書いた記事は、過去に何回かこの掲示板に掲載されたことがある。過去ログをよく調べてそれを参照して書くのがいいのだろうが、その時間がとれないので、記憶に頼って書くことにする。一応、千曲市民という名で書いた者は同一人物だということを前提にする。

 今回、環境部長・坂口公治を批判したのは、市民に情報を隠してものごとを進める坂口の「閉鎖性」が元にある。以前からずっと、坂口公治はこの流儀でやってきた。
 確か、公務員は公僕であるという規定は、憲法にあったのではなかったか。国民、市民、住民が主(あるじ)であり、公務員はそれに仕える僕だという意味の規定があったはずだ。その僕であるはずの公務員が、主であるはずの市民、住民に情報を隠して、勝手にものごとを決めている。これを身の程知らずと言うのではないのか。
 しろうとにすぎない環境部の者たちが、専門家を参画させず、堆肥化施設システム選定を「非公開」でやったのである。堆肥化というのは非常に難しい技術で、専門家の参画が必要だということは、ごみ問題の専門家である関口鉄夫氏が講演会で言っている。千曲市環境部は、しろうとだけでシステムを選定した。何を思い上がっているのか知らないが、あるいは、堆肥化技術をどれだけなめているのか知らないが、あるいは、どこからどういう金が流れたか知らないが、千曲市環境部はしろうとだけで「非公開」でシステムを選定した。これは確かなことである。
 以上のことは信濃毎日の記事を読むだけでもわかることであるが、千曲市民は「なぜ非公開で審査する必要があるのか」「なぜ市民が選んだ専門家を参画させないのか」等の疑問を持たないのか。事実を知れば誰でもが持つはずの疑問を持って、「業者との癒着以外にどんなまともな理由があって」非公開の審査などしているのかと、自分で千曲市環境部に問いただす程度のことをしたとでもいうのか。そのようなことをしたのであれば、「真面目にこの問題を考えている市民の活動」という言葉にも実質があるだろう。千曲市民はいったい何をしたのだ。「まじめにこの問題を考えている」というのも、正確に言えば、「まじめにこの問題を考えているつもりになっている」じゃないのか。何もしないくせに「考えているつもり」。これが実態であろうが、違っていたらきちんと反論するがいい。
 以前、私の作るビラを配ってくれないかと掲示板上で千曲市民に頼んだとことがあったが、断られた。私の文章の調子が嫌いだとかいろいろ理由はあるだろうし、嫌いなものを手伝う必要はないのだから、断られたことはそれでいい。確かそのときだったと思うが、「私は、千曲川で釣りをするなどして自然と親しむことをしたい」というようなことを千曲市民が言っていたと記憶している。ビラを配ることに対して、釣りをすることを対置するような思考がどうにもわけがわからないと思ったが、断りだけ受け取ればいいので、釣りなんかで溶融炉問題に何の対処もできるわけがないと言うだけにとどめた。
 千曲市民の「自然」てのは何のことなのか。あんたの千曲川が、川上村の高原野菜栽培で使った農薬で、どれほど汚されているかわかっているのか。釣りなんぞして、「汚された川の汚された魚」なんぞとたわむれているがいい。俺は奇形の魚を何度も釣ったことがある。
 この者は、「自然」と親しむことが何か意味のあることのように言いながら、今後も新しい情報は教えてもらいたいみたいなことも言っていたのだ。人にやらせてないで、自分で、議会の傍聴にでも、委員会の傍聴にでもでかけるがいいのだ。記事を書いて印刷して配布するという膨大な手間がないというなら、ホームページでも作って、自分が見て聞いたことをみんなに知らせるがいいのだ。それが「活動」というものだろう。そうすれば、千曲市の市政や行政や議会がどれほど膿んでいるか、膿みを放置したために、どれだけ腐っているかがわかるはずだ。
 この男は事実が確定しないものを憶測で書くなみたいなお説教を俺にしているが、この男が人にやらせないで自分でやる男なら、千曲市の腐敗は共通感覚として、俺と共有されるだろうから、おちょぼ口でこんな馬鹿みたいなことを言い出すこともないだろう。警察がやるべき仕事は俺の仕事ではない。事実を確定させてからものを言えというのなら、千曲市民という野郎は、自分で警察がやるべき仕事をやると言っているのか。はっきりと腐臭はあるのだ。その腐臭の強度で鼻が曲がらないから、「真面目にこの問題を考えている市民の活動」などと何の実態もないものを恥知らずにも持ち出すことができるのだ。再度質問するが、どこにそんなまともな「活動」があったというんだ。活動があったのは、中区区民達と、市政ウォッチングの会だけだぜ。議員では森貘郎だけだ。何が「活動」か。千曲市民は、簡単に言えば、鈍いだけの野郎である。
 千曲市民というおちょぼ口野郎は、坂口公治が水口テクノスから金をもらったとして、自分からそれをしゃべるはずがないという程度のこともわからないらしい。一度でいいから、市議会を傍聴してみるがいい。あの腐臭を嗅いでからものを言え。過去にこの男は、千曲市の民度が低いなどと偉そうなことを言っていたが、人にやらせて自分じゃジョーホーだけ欲しがっているような者のことを民度が低いというのだ。その程度のこともわからない低劣なおちょぼ口なのである。

 どうもまた酔いが回ってきた。書きたいことが残っている気がするが、今日はこの辺でやめておく。書きたいことの輪郭がもっとはっきりしてきたら、また書くことにする。
 

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